■延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』において、神宮を名乗る大社は3社しかありません。そのひとつが鹿島神宮です(残りは、伊勢神宮と香取神宮)。なぜ、大和から離れた、また、関東でも、東山道、東海道から離れたはずれの地にその大社は鎮座するのでしょうか。また、なぜ、本殿の内陣は出雲大社と同じ構造になっているのでしょうか。
■鹿島神宮は謎多き神社です。そして、今日における神社の最大の特徴は、広大な鎮守の森が維持されている点でしょう。
■鹿島神宮最大のパワースポットは、奥宮に向かって300m程伸びる奥参道です。森の中をただ掃き清められた道は、鎮守の森の醍醐味そのものです。杉の巨木が参道からそのまま空に伸びています。周りは鬱蒼とした社叢をなしています。
■奥参道の突きあたりに奥宮があります。現在の社殿は、徳川家康が関ヶ原戦勝のお礼として、慶長10年(1605年)に、現在の本殿の位置に本宮として奉納したものです。その後、現在の地に遷されました。武甕槌神の荒魂を祀っています。
■要石(かなめいし)は、何の変哲もない小石です。しかし、その本体は地中深くまで埋まっており、地震を起こす鯰の頭を抑えていると伝えられています。徳川光圀が7日7晩にわたって掘らせたのですが、結局、石の全体像は分からなかったことが『黄門仁徳録』に記されています。
■要石のある場所は、鹿島の森の奥深く、森の持つ厳粛な雰囲気を感じさせる場所であることは間違いありません。