●以上の考察から、私の考え(推論)を述べさせていただきます。
●量子もつれ(EPR相関)の実験結果から、観測行為は、測定対象とした量子の物理量のみならず、どんなに離れていても、相関する量子系の物理量を光速度を超えて確定するものです。
●この事実を、測定装置と測定対象の量子との相互作用(物質と物質との相互作用)で説明することは困難です。なぜなら、この事実は、測定装置が直接の測定対象とはしていない、すなわち、まったく相互作用をしていない量子に影響を与えているからです。
●そうしますと、どのように理解すべきでしょうか。もっとも素直な解釈は、以上の事実を測定装置と測定対象との相互作用と捉えるのではなく、「観測行為」それ自体の特性と理解することです。すなわち、「観測行為は、測定対象とした量子の物理量のみならず、どんなに離れていても、相関する量子系全体の物理量を光速度を超えて、確定するもの」と理解するのです。
●換言すれば、「観測」には、観測される量子と測定装置との物理的相互作用を超えた存在としての「観測主体」を想定せざるを得ないと考えられます。この意味するところは、「観測」には、物理的相互作用を超えた要素が必要であるということです。
●この点は、不確定性原理からも裏付けられます。不確定性原理では、観測は、観測対象とした物理量(たとえば位置)に対してのみ正確になしうるものであり、対になる別の物理量(たとえば運動量)に対して同時に正確に行うことはできません。これは、観測は常に特定の「観測主体」が特定の観測対象に対して行うものであって、「観測主体」が観測対象を明確にしない限り、正確には行えないことを意味しています。この点から、観測は、自由意思的に観測対象を定めることができる「観測主体」を想定しないと行うことができないということになります。
●また、二重スリット実験における「波束の収縮」についても、観測主体による「観測行為」が確率の波として存在している量子を粒子として確定する(実在化する)と考えるのが最も自然だと思います。これまでの議論は、量子が波と粒子の二重性を持つことを前提として、観測によって「波束の収縮」が起こると考えました。そうではなく、量子はシュレーディンガー方程式に従った「確率の波」であり、それを粒子として確定(実在化)するのは観測主体による観測行為であると捉えるのです。
●なお、測定装置の設定、測定対象の設定は、誰が行っても同じなので、観測主体として、個々の人間(または個々人の意識)を想定する必要はないと思われます。この意味で、観測主体は、抽象的、一般的なものでよいと思われます。
●逆に、観測主体として「個々人の意識」を想定してしまうと、アインシュタインが述べたように、「君は、君が見上げているときにだけ月が存在していると信じるのか」といった批判や、「人間が誕生する以前の観測は誰が行ったのか」といった素朴な疑問を生じさせてしまうことになるでしょう。